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『愛の言葉 脅しの言葉』

「愛している」と「愛しているのだから」を間違えてはいけません。
「愛している」は愛の言葉ですが、「愛しているのだから」は脅しの言葉です。

好きだったらという強迫です。
愛しているのだったらという脅しです。

好きならこのくらいして貰っても良いじゃない!という欲求は、
脅してあることを忘れないで下さい。

時に人は、他人に条件を突き付けます。
馬でいうところのニンジンです。

ニンジンをぶら下げて、ハイこれをやったら、
ニンジンをあげますよ!という欲求や、
これをしないとニンジンはあげませんよ!という脅迫です。

恋愛でいうならば、私のことが好きになら、こうして!という欲求や、
私に嫌われたくないなら、これをして!という脅しです。

どちらも、言ってるこの人は相手を愛してはいない状態です。
自分の思い通りにコントロールすることが目的になっていて、
相手を思いやるとか、相手を大切に思うという感情はありません。

もう、こうなってしまっては、恋愛とはいえず「奴隷」とでもいうのでしょうか?
支配するものと、支配されるものになっていて、精神的に成熟した人なら、
こういう付き合いからは手を引くはずです。

しかし、精神的にまだ未熟で、人から愛されたい、
誰にでも良いから私は「良い人」だと思われたいと思っている人は、
この欲求も脅しも、あれこれ理由をつけて、結局のんでしまいます。

そして、あ〜つらい!と不満になります。

自己確立が出来ていない人は、
自分と他人との境界線が無いか、もしくは曖昧です。

自分が出来ることは、他人も出来ると思っているし、
自分が望むものは、他人も望んでいると思っています。

人とは価値観が違うと口では言うのに、
本当の意味で人と、自分は違うという境界線がはっきりしていないんですね。

私が嬉しいことは、他人も嬉しいだろうと思ってしまう。
私がつらいことは、他人もつらいだろうと思ってしまう。
私が悲しいことは、他人も悲しいだろうと思ってしまう。

人間というひと括りの動物だと考えてしまいますが、
AさんはAさんという動物。Bさんは、Bさんという動物。
犬は犬。猫は猫というくらいに、人間は違う生き物です。

姿は似ていても、心の中を覗いてみれば、
Aさんは犬、Bさんは猫、Cさんはサル、Dさんは馬、Eさんは牛、
このくらい違うものなのに、どうして犬に猫の真似ができるでしょう?
馬がサルにはなれませんよね?

自己確立できてない人は、とにかく自分と他人との境界線がありませんから、
誰に何を欲求をして良いのかわかっていません。

それ故、他人にものすごい欲求をしている場合があるのです。

会社という組織の中は、営利目的です。
お金を儲けるために企業はありますから、
お金を儲けるためのシステムで動いています。
営利目的以外に会社の目的は基本的にありません。

社会貢献だとか、日本の技術の発展とか、
そういう細々したものは、営利目的の上に成り立っているものです。

ですので、欲求する人材はその目的に合った人です。
それ以外の目的を持っている人は、必要がありません。
最終的には、そのひとつになります。

人間関係でいうならば、親には親の役目、兄弟姉妹にはその役目、
友達には友達の役目、学校の先生、近所の人、恋人、上司、部下、同僚、など、
それぞれの役割を求めるのが本来です。

しかし、自己確立していない人は、上司に親の役目を期待し、
同僚に上司の役目を期待し、恋人に友達の役目を期待し、
その期待は裏切られ、不満になり悩みます。

時には恋人に親から、友達から、上司から、
すべての役目を期待してしまう人もいますので、
この恋人になった人は一人で何役もこなさないと、
相手が不満になってしまうので大変です。

相手のことを不満だと思ったとき、自分が相手に対して、
どこまで欲求しているのかを、ちょっと考えてみましょう。
もしかすると、恋人に親の役目を期待しているから不満になるのかもしれませんよ。

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